人材育成コンサルタント&社労士の浜田純子です。
先日、大変すばらしい光景を目にいたしました。
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吊り革を持って電車に揺られていたときのこと…
あるお年寄りの女性が、電車に乗ってきました。
咄嗟に、私の斜め前に座っていた若い女性が席を譲りました。
そして、お年寄りの女性は申し訳なさそうに、お礼を言って、座りました。
そうして、しばらくした頃
足に包帯をぐるぐる巻きにした松葉づえの若者が電車に乗ってきました。
彼は偶然にも、そのお年寄りの近くに立っていました。
するとどうでしょう?
そのお年寄りが若者に声をかけ、立ち上がったのです、「ここに座ってください」 と。
若者は、驚いた様子で、「私は大丈夫です。」と辞退していました。
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私たちが行う行為と同じように、
背中を丸めた高齢の女性が、若者に席を譲ろうとしたのです。
怪我をしている若者が痛々しかったのでしょう。
その光景を見て、心が震えるくらい感動いたしました。
これこそが「人の優しさ」なんだと。
「お年寄りには席を譲りましょう!」・・・私たちはこう教えられて育ってきました。
そのためか、「お年寄りには席を譲らなければならない」 という意識が強いのも確かです。
もちろん最終的には「席を譲る」という行為になるのですが
「~しなければならない」から譲るのではなく、
「大変そうだから代わってあげよう」という優しい気持ちの結果、
席を譲るという行為につながることこそ、本来の姿なのだと思いました。
このお年寄りの女性は、自分が高齢であるとかそういうことは関係なく
目の前の人に対する優しさから、我を忘れて席を譲ったのでしょう。
私たちが「お年寄りには席を譲るべきだ」という考え方をするのと同様に
お年寄りも「若い人には席を譲ってもらって当然」という感覚を無意識に持ってしまいがちですが
このような「~するべき」「~してもらって当然」という感覚は、
「席を譲る」という行為の裏側にある「優しさ」に気づくのを妨げることさえあると感じます。
年を取っているから席を譲るのではなく、
年を取っているため、立っているのがつらいだろうと思うからこそ、席を譲りたいですね。
実際に譲っていらっしゃる方々は、まさにそうなのです。
そして、譲ってもらったら相手が誰であれ、
なかなかできないその行為に、心から有難いと感謝する気持ちを持ちたい…
私事ですが、今でも思い出す「忘れられない気持ち」があります。
子供が1歳少々の頃、右肩と左手に荷物を持ったまま子供を抱っこし
もう一方の手で電車の吊り革を持って立っていた時のことです。
目の前に座っていらっしゃったご婦人が、席を譲ろうと声をかけてくださったのです。
まだ若かった私は、さすがに悪くて、遠慮しましたが
それでも、その人の気持ちが嬉しかった・・・
見知らぬ人どうしであっても、そんな小さな心の触れ合いが、
双方の人を温かい気持ちにさせてくれます。
そんなことを考えさせられたひとコマでした。